投稿日:2008-05-10 Sat
二葉の批評システムは、匿名性を保つ為に「自分の作品にも批評を書く」事が義務付けられています。その昔、アナログ活動を行っていた時代には、皆さまからの批評をペーパーで郵送して貰い、本部で集約して次の会誌に載せるという手順を取っていたので、自分で自分の批評をする必要はありませんでしたが、
デジタル活動に移行して、批評の書き込みがその場で公開される事になり、自分を抜かした他会員の作品にまとめて批評を書き込む事で、少し頭を使えば「あ〜●●さんが書き込んだ批評なんだな」と分かってしまう事になる為に、やむを得ずそのようなシステムを取り入れているワケです。
基本「自分の作品に、他人のフリをして批評を書き込む」ので、少なからず抵抗を覚える会員さんもいて、そのような会員さんには、まず「自分の作品に、自分として客観的な反省点を述べ」て貰い、他の会員さんの書き込みがあった後、時間をおいてから他会員さんの批評を書き込んでもらう事で、何とか匿名性を保たせる工夫をして頂いているのですが、
前者の会員さんの中で、それはそれはモノの見事に他人のフリをして、自分の作品に批評を書き込む会員さんがいらっしゃって、
「将来有望だな〜」
と、秘かに感心と期待をしている本部だったりします。
物語にしても、作画にしても、そこに「在るモノ」を「在るモノ」として表現することは基本中の基本で、そこに「無いモノ」を「在るモノ」として表現する力が備わっている程、創作者としての資質を感じます。
もちろん「ゼロ」から何かが生まれるワケではなく、実在する人・物・事象に刺激をうけながら、想像を膨らませて新たなモノを作りだしていくのが創作者なワケですが、
「実在しない人」
「実在しない場所」
「実在しない生き物」
「実在しない事件」
「実在しない世界」
etc…を、あたかも「実在するように」作り上げていく上で必要な力こそが、「上手にウソがつける力」だと考えます。
そう考えた時、「他人のフリをして自作品の批評を上手に書き込める力」は、ある意味「他人になりきって」いないと出来ない事ですし、自分の作品をどれだけ客観的に見直す事が出来ているか?というその人の持つ「客観性」を本部が知る手立てとして参考に出来るので、上記のような期待が持てるという結論に達するワケです。
プロの創作者の脳内には、相当な「役者」が揃っている事でしょう。もちろん「脳内役者」の力があるだけでプロの漫画家になれるのか?と言えば、そうではありませんが(;^_^A
そもそも「その力」がないと、良い意味で読者を騙しきる事は難しいだろうと感じています。
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ある意味 詐欺師…

